芦屋の文化と歴史を文学の視点で綴る・谷崎潤一郎記念館へようこそ
 
谷崎潤一郎と画家たち
〜作品を彩る挿絵と装丁〜
- 開催期間:2008年3月28日(金)〜2008年6月29日(日) -
 平成20年春の特別展示は、「谷崎潤一郎と画家たち〜作品を彩る挿絵と装丁〜」をテーマに開催します。
 谷崎潤一郎は、自身の文学作品の装丁に強いこだわりを持っていました。「私は自分の作品を単行本の形にして出した時に始めてほんたうの自分のもの、真に「創作」が出来上つたと云ふ気がする。」(「装幀漫談」)と述べているほどです。自分で装丁を手がけたり、作品に合った画家を選んで装丁や挿絵を依頼したりしていました。特に代表作『蓼喰う虫』は、新聞連載時において、小出楢重の挿絵に励まされながら書いた、と回顧しているほどです。
 初期作品では山村耕花や橋口五葉、水島爾保布らの画が幻想的な作品に彩りを添えたり、過激な描写ゆえに発禁となったり、初期谷崎文学を語る上で外せないものとなっています。そして昭和期では、三度目の妻となる根津松子との交際から、北野恒富・小出楢重・中川修造らとの関係を築き、代表作となる『卍』『蓼喰う虫』『盲目物語』の挿絵を依頼しています。さらに晩年においては、『鍵』『瘋癲老人日記』『夢の浮橋』が棟方志功の版画に彩られ、後期谷崎文学において重要な位置を占めています。作品世界を彩る挿絵と装丁は、谷崎の目指した美的世界を完結させるものと言えるでしょう。
『卍』(左)と『お艶殺し』(右)
 本展では、谷崎の作品世界と画家との関連を、当時の写真や書籍、書簡などでご紹介するとともに、画家たちが制作した美術品もあわせて展示します。主な展示品は、美麗な装丁本・挿絵の数々をはじめ、北野恒富「雪の朝」、菅楯彦「こころあてに」、小出楢重「婦人像」、棟方志功「痴人の愛口絵原画」、内田巌「谷崎潤一郎肖像」などです。皆さま、活字だけでは知り得ない谷崎文学の美的世界を感じて頂ければ幸いです。
〜谷崎潤一郎という人物の背景を洞察する〜
第24回 熱海・雪後庵と谷崎潤一郎
「後の雪後庵」にて 海の夕暮を愛でながら
 谷崎潤一郎は、その生涯において、熱海に三度別荘を購入している。
 最初に購入したのは、昭和17年、熱海西山の別荘である。このとき谷崎一家は兵庫県武庫郡住吉村反高林の家(現「倚松庵」)に住んでいた。ここは7年も住み続けたほど愛着のある家で、転居魔の谷崎にしては珍しい。
 この家では、三度目の妻松子夫人と、その妹や娘と生活し、その様子が『細雪』(昭和18年)に描かれた。しかし結局谷崎は関西を離れ、熱海で『細雪』を執筆する。その際、松子夫人に関西が嫌いになって離れたのではない、あくまで執筆のため、と手紙で弁明している。
 その後、戦争が激しくなり、家族を熱海に避難させ、さらに岡山へと疎開する。戦後は、京都に移住し、昭和21年と24年に購入した邸宅に「潺湲亭」と号した。しかし、その翌25年3月、熱海市仲田508番地に別荘を購入し、「(前の)雪後庵」と名付けるのであった。京都の夏の暑さと冬の底冷えに耐えられず、夏冬の季節を熱海で過ごすことが多くなったからである。
 この年から谷崎は、源氏物語の新訳の準備に取りかかり、26年3月、新訳の筆を執り始める。5月には『潤一郎新訳源氏物語』(全12巻)を刊行、29年12月に完結し大業を果たした。しかし、この新訳執筆の間、谷崎は著しく健康を害したのであった。戦前から兆候のあった高血圧症が、戦後京都に住みだしたころから現れ、27年には死の危機を感じるほどの状態となる。以後、めまいに悩まされ、静養することが多くなった。
 『雪後庵夜話』(昭和38年)によると、発病以来熱海の家の辺りが繁華になり過ぎ、自動車の往来も頻繁で落ち着かなかったという。閑静な場所を求め、昭和28年5月に(前の)雪後庵を処分、再び山王ホテル内の土屋別荘を借り、29年4月、熱海市伊豆山鳴沢に別荘を購入し(後の)雪後庵とした。この地について、谷崎は「熱海でこれほどの景観をほしいま丶にする地は他にあるまい」(『雪後庵夜話』)と述べており、海を遠く眺望し山々を眼前に眺める景勝の地で、冬はもちろん夏も過ごしやすく、遂に昭和31年には京都潺湲亭を手放し、入洛の際は北白川の義妹渡辺家に滞在した。
 ここでの生活は、昭和38年に売却するまで続くのだが、最初の4年(昭和29年から昭和33年に発作を起こし右手の疼痛に悩まされるまで)ほど、谷崎は健康に恵まれ充実した日々を送る。毎年春には後庭で友人たちと花見の宴を催し、平安神宮の紅枝垂を見に入洛するのがしきたりとなっていた。美食を楽しみ、名店の味を存分に味わうこともできたという。その間、『幼少時代』(昭和30年)『過酸化マンガン水の夢』(同年)、そして晩年の代表作『鍵』(昭和31年)を発表し、その性的描写が問題視され国会で取り上げられるなど、センセーションを巻き起こした。
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