芦屋の文化と歴史を文学の視点で綴る・谷崎潤一郎記念館へようこそ

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2017年度
 
2017年 春の特別展
和らんまん 〜谷崎の愛した絵画、工芸、着物〜
 会期 2017年3月25日(土)〜 6月25日(日)
 いつも美に満ち溢れていた谷崎潤一郎の作品世界。それは、「和」の伝統美を背景と しながら生み出されてきたものでした。
 春の特別展では、こうした美意識を見事に映し出す文豪お気に入りの美術品を、一堂 におみせします。目を奪う絵画・工芸、とりわけ、谷崎ゆかりの女性たちが愛した数々の着物の彩りの、 今の世ではもはや夢のまた夢かとも思わせるほどの豪奢なしつらえは、きっとため息を誘うことでしょう (※着付協力は日本和装学園神戸校・安藤綾子総合学園長)。

 展示では、主に四つの作品を通して、「和」の美匂い立つ谷崎的美学の全貌を紐解いていきます。

□「春琴抄」〜伝統の美は闇に目覚める〜
 谷崎が生れた明治の頃の日本橋。そこには、「光輝く大都市東京」の姿はまだまだ遠く、 妖しくも美しい江戸の闇の世界が息づいていました。移住先の関西の文化と風土にも触発され、 モダンボーイだった谷崎の中で、幼い頃に親しんだその闇の伝統美の水脈が浮上してきます。 大阪の老舗薬種問屋を舞台にし、盲目の美女が主人公となった「春琴抄」は、そんな闇の中に目覚めた美の世界の申し子なのです。

□「源氏物語」と「細雪」〜二つの古典美〜
 平安貴族社会の古典美の粋を現代によみがえらせた「谷崎源氏」。その伝統美の世界 を基調としつつ培われた、近代日本の市民の美意識・美的ライフスタイルのエッセン スともいえる「細雪」。二つの作品世界は、女性美を核心としながら、千年の時を越え て響きあい融けあっていきます。

□「瘋癲老人日記」〜棟方板画のクールジャパン〜
 洋画からスタートしつつ日本の版画の伝統に行き着いた「棟方板画」のクールなジャポニズム。 それは、谷崎の美意識がたどってきた道のりと一脈通じるものです。 「瘋癲老人日記」の乾いた美とエロティシズムの世界が、棟方の挿画によって見事に可視化されていきます。

皆さま、「和らんまん」の谷崎文学の世界を、とくとご堪能あれ!

■特別展開催時の記念館入場料は一般400円、65歳以上200円、高校・大学生300円、中学生以下無料となります。

2016年度
 
2016年 春の特別展 「谷崎潤一郎 物語の棲み家」〜「ナオミの家」から「倚松庵」まで〜 会期 2016年4月2日(土)〜 6月26日(日)

倚松庵テーブルといす(小池義忠さん撮影)
 79年の生涯で40回以上もの転居を繰り返し、阪神間だけでも21年間に13か所を移り住んだ谷崎潤一郎(1886〜1965年)は、「家」に対して並々ならぬこだわりを持つ作家でした。常に執筆する作品の雰囲気に合う住居を求め、小説の内容と家のたたずまいが密接に結びつくことが少なくなかったのです。

 春の特別展では1923年(大正12年)、関東大震災に遭って阪神間へ移住した谷崎の「棲み家」と小説の関係に焦点を当て、『痴人の愛』の住居のモデルとなった「ナオミの家」、『蓼喰ふ蟲(たでくうむし)』を執筆した「鎖瀾閣(さらんかく)」、『猫と庄造と二人のをんな』を書いた「富田砕花旧居」、そして『細雪(ささめゆき)』の姉妹の邸宅として描かれた「倚松庵」をご紹介します。


ナオミの家
 谷崎は1924年(大正13年)から約2年半を神戸市東灘区の洋館で過ごし、『痴人の愛』を執筆しました。小説の舞台は東京ですが、主人公夫妻が住む家の「マツチの箱のやうに白い壁で包んだ外側」などの描写はこの洋館と一致します。ヒロインにちなんで「ナオミの家」と呼ばれ、2006年に解体されましたが、昨年12月、谷崎没後50年を機に和歌山県有田川町へ移築されました。


鎖瀾閣で三味線を弾く谷崎
  「鎖瀾閣」は神戸市東灘区に位置し、谷崎自身が和風・洋風・中国風の意匠を折衷して設計した飛び切りの豪邸でした。1928年(昭和3年)から3年間所有し、ここで『蓼喰ふ蟲』を書き上げます。谷崎文学の中に混在する日本古典と西洋のモダニズム、中国へのあこがれを象徴するかのような邸宅でしたが、1995年の阪神大震災で全壊。短編「鶴唳(かくれい)」に描かれた建物の名を取って、「鎖瀾閣」と呼ばれています。

  「富田砕花旧居」は1934年(昭和9年)から約2年半暮らし、3番目の夫人松子と結婚式を挙げた芦屋市宮川町に現存する日本家屋です。谷崎の後にこの家に住んだ詩人にちなみ、この名がつけられました。谷崎はこの家で最初の『潤一郎訳 源氏物語』に取りかかり、芦屋を舞台にした『猫と庄造と二人のをんな』を執筆しました。

  “引っ越し魔”の谷崎が1936年(昭和11年)から7年間の長きにわたって暮らしたのが、神戸市東灘区にある「倚松庵」です。谷崎は妻の松子、その妹の重子と信子、松子の娘の恵美子と共に、この家で『細雪』さながらの優雅な暮らしを営みました。マントルピースを備えた応接間、テラスから見える庭の景色など、作中の雰囲気が今も濃厚にたちこめる贅沢な空間です。

 主な展示物は、「ナオミの家」の解体前と移築後の外観写真、『痴人の愛』初版本、「鎖瀾閣」の外観・内部写真とその模型や部材、谷崎一家が愛用した「倚松庵」のテーブルといす、『細雪』上中下巻初版本、桐箱金泥文字入り『潤一郎訳 源氏物語』など約100点。「倚松庵」のテーブルといすは実際に座っていただけます。谷崎生誕130年の今年、文豪が物語を生み出した濃密な空間を体感してください。

 ※展示品は時期によって入れ替えがあります。

■特別展開催時の記念館入場料は一般400円、65歳以上200円、高校・大学生300円、中学生以下無料となります。

 
2016年 夏の通常展 「谷崎潤一郎 人と作品」〜潤一郎、郷愁の幼き日々〜 会期 2016年7月2日(土)〜 9月4日(日)
 まだ「潤一郎少年」だった幼少の頃、谷崎は幸せでした。
 谷崎は、たいへん裕福な家に生れました。「婆や」の付き添いがなければ小学校にも通えないという、「乳母日傘」のお坊ちゃんで、大切に可愛がられて育ちました。錦絵にも刷られたという、大好きだった美しい母の面影も、幸せな幼い時代を甘く彩っています。そして故郷・東京は、「古き良き江戸」の情緒をいまだとどめて、幼い潤一郎の感性を優しくつつみこみ豊かに育んだのです。
 しかし、そんな甘く美しい日々も、長くは続きませんでした。懐かしい江戸の面影は近代の「東京」に侵食され、谷崎一家もやがて暗い貧窮のなかへと堕ちていきます。谷崎が故郷を拒み捨てたこと、にもかかわらず終生郷愁を捨てきれずにいたことの背景には、幼少期から青年時代へかけてのこうした暗い屈折があったのでしょうか。幼馴染みとの終生のつきあいも、暗い谷間の向うの、谷崎にとってもっとも美しく幸せだった幼い日々の思い出を繋ぎ留め、よび覚ますよすがとなっていたのかもしれません。
 日本画の大家・鏑木清方が失われた東京の風俗を見事に活写した『幼少時代』挿絵原画、老いた谷崎がなお抱き続けた美しい母への憧憬を受け止めた鬼才・棟方志功の『瘋癲老人日記』挿絵原画、谷崎が故郷への屈折した郷愁を吐露したエッセイ「東京をおもふ」の自筆原稿、そして谷崎の幼少時代にまつわる貴重な写真等々・・・。さまざまな資料を通して、文豪谷崎の感性の母胎ともなった幼き日々とその郷愁とをクローズアップしていきます。
 
2016年 秋の特別展 「<谷崎源氏>三つの変奏」 会期 2016年9月10日(土)〜 12月11日(日)

愛蔵本漆塗り箱入りの「潤一郎訳源氏物語」
 平安時代に紫式部によって書き紡がれた「源氏物語」は、世界的な古典の名作として、今もなお、絶大な人気を誇っています。多くの作家たちが現代語訳に挑みましたが、その中でも稀有な存在感を放っているのが、谷崎潤一郎による現代語訳、いわゆる〈谷崎源氏〉なのです。谷崎は、人生で三度も「源氏物語」訳に挑み、時代の影響を受けながらも、原文の古雅なイメージを保ちつつ、旧訳・新訳・新々訳と三つの変奏曲を奏でました。

 最初の『潤一郎訳源氏物語』(旧訳)は、昭和十年秋から十三年にかけ、中央公論社から生活費のバックアップを受けて「源氏に起き、源氏に寝ねる」生活を送り、訳業に没頭して完成させました。戦局の激化により、皇室に関る部分は削除を余儀なくされ、完全な訳とはなりませんでしたが、国語学の権威・山田孝雄に校閲を依頼し完成。刊行されるやいなや、世間の大きな反響を呼び、ベストセラーとなりました。

 戦後は、完全な現代語訳を目指し二度目の訳(新訳)に挑み、『潤一郎新訳源氏物語』として二十六年から二十九年まで刊行されました。山田孝雄の校閲に加え、京都大学の研究者・玉上琢弥らに協力を依頼し、万全の体制を整えて臨みました。また、当代の日本画家十四名の手による挿絵の数々は、極上の源氏絵巻となり〈谷崎源氏〉を彩りました。

  三度目の『潤一郎新々訳源氏物語』は、若い世代にも愛読されるよう現代仮名遣いに改め、昭和三十九年から翌年にかけ刊行されました。旧訳から新々訳まで、様々なバリエーションの形態で書籍が刊行され、どれも爆発的な売れ行きを誇ったのです。時代の要請に応じて刊行されたのが、谷崎の「源氏物語」訳でした。

  三つの〈谷崎源氏〉が変奏する様相を、学術的な成立過程を辿りながら、絢爛な絵巻的世界へ誘います。

  本展は阪神南リレーミュージアム「阪神南ゆかりの作家をたずねて」の一環として行います。
 共催;兵庫県阪神南県民センター
 後援:読売新聞大阪本社 武庫川女子大学 大阪よみうり文化センター
 協力:中央公論新社 國學院大學図書館

■特別展開催時の記念館入場料は一般400円、65歳以上200円、高校・大学生300円、中学生以下無料となります。

 
2016年度 冬の通常展
「谷崎潤一郎 人と作品」〜肉筆に見る文豪谷崎〜
 会期 2016年12月17日(土)〜 3月20日(月・祝)
 パソコン・ワープロ全盛の昨今、「字を書く」というのがしっくりこない、機械が作る「作字」の時代のようで、 作家のみなさんの世界でも、墨と筆はもちろん原稿用紙に万年筆を滑らせるなどというのも、今や珍しい風景となってしまったのではないでしょうか。
 谷崎潤一郎も、もし今に生きていたなら、やはり「作字」の作家となっていたことでしょうが、幸か不幸か、彼は「肉筆」の時代の文豪でした。 作家谷崎のなりわいであり、人生そのものでもあった「文章を書く」ということが、とりもなおさず肉筆で文字を書くことであったわけで、結果、 私たちは今に遺された文豪の生の筆跡に接することができるのです。
 作家の肉筆を味わう。少し前までは当たり前だったこのことが、今や、たいへん貴重な体験となっています。
 特設展では、愛用の美麗な蒔絵硯箱や筆とともに、谷崎の遺した多種多様な肉筆をお見せします。
 文壇デビュー頃の希少な書簡に遺る若々しく流麗な筆づかい、晩年のラブレターでは高血圧症の麻痺した手のたどたどしいカナクギ流、 編集者が読み間違えないようにと原稿用紙に書き付けられた小学生のような楷書体、さらに、文人の教養と風流を映し出す短冊・色紙の筆の品格等々・・・。 その生の筆跡から滲み出る、文豪谷崎の年輪と人となりを感じ取っていただければと思います。  
2015年度
 
2015年 春の特別展 大谷崎展『文豪と五人の女神』
没後50年・文豪は時空を超えて
会期 2015年3月28日(土)〜 6月28日(日)

春の特別展ちらし
 大谷崎ともいわれた文豪谷崎潤一郎が世を去って、半世紀が経とうとしています。
 一九六五年から二〇一五年。高度成長の真っ只中から、「一億総中流」の時代を経てバブルの狂乱へ。そして、その宴の後の空しさを満たしたのは、格差社会と少子超高齢化の閉塞状況の現在でしかなかったようです。この五十年という時の流れは、短くはなく遅くもなく、曲がりくねり、今も軋みを立てて進んでいます。


小出楢重「蓼喰ふ虫」挿絵原画
 そんな世の中の転変のなか、死せる谷崎は多くの人々に今なお読み継がれ、その精神はたしかに生き抜いてきています。至上のものは、富でも力でも徳の高さでも賢明さでもなく、美しいものである。どんなに愚かしく見えようと、時に破滅の淵に沈みさえしても、人が生涯をかけて追い求めて然るべきものは、美と愛の快楽である。
 その人間存在への洞察は、一面で普遍の真理をつきつつもどこか今めいてはしないでしょうか。そしてそれは、現実の女性たちとの関わりを通じて形づくられてきたものに違いありません。

棟方志功「トレアドルパンツの渡辺千萬子」
 小林せい子、石川千代、古川丁未子、根津松子、渡辺千萬子。この女性たちは、谷崎の生涯を節目ごとに彩りました。「痴人の愛」「蓼喰ふ虫」「猫と庄造と二人のをんな」「春琴抄」「細雪」「瘋癲老人日記」・・・。彼女らがインスピレーションの泉となって次々に傑作が生み出され、谷崎文学の世界は比類なく豊かなものになっていきます。
 五人の女性は創造の女神であり、文豪の秘密を握っているのです。
 彼女たちだけが知っている、その隠された世界にご案内しましょう。

(主な展示品)
「春琴抄」漆塗り初版本、「盲目物語」自筆原稿貼り交ぜ屏風、松子愛用の琴、谷崎自筆書簡、棟方志功「瘋癲老人日記」挿絵原画等。
 
2015年 夏の通常展 谷崎潤一郎・人と作品 会期 2015年7月4日(土)〜 9月6日(日)

谷崎潤一郎墓石(京都法然院)
 1965年7月30日。「大谷崎(おおたにざき)」とも呼ばれた文豪、谷崎潤一郎が世を去った日です。享年79歳。当時としては大長命、天寿を全うしたのでした。
 その死から4年をさかのぼる夏、口述筆記で始められた「瘋癲老人日記」。死期にさしかかってなお性欲と食欲に執着し、死の恐怖さえ快楽を高める刺激としつつ死の後までも快楽を貪ろうと妄想すらする主人公の老人は、まさに谷崎そのもの。みずからを戯画化しつつ文豪畢生の傑作となったこの作品は、死を目前にしてなお満ち溢れる創作エネルギーのかたまりであり、その迫力は死をものり越えんとする欲望の力となって私たちを圧倒します。それは、谷崎の死生観の行き着いたかたちであり、間近に死を迎えようとしていたこの文豪らしい魂の救済への処方箋ともいえるでしょう。

「瘋癲老人日記」挿絵原画「仏足石」(棟方志功)
 高血圧、糖尿病、前立腺肥大・・・。さすがの谷崎も身体の不調をさまざまに抱えていましたが、「瘋癲老人」よろしく最晩年も大いに喰らい楽しみ、そして書き続けた。死の直前、7月24日の誕生日の宴で、家族や友人に囲まれて料亭からの出張料理のご馳走を健啖にたいらげ、死の直後の書斎の机には次回作へ向けた創作メモが残されていました。文豪のエネルギーは最後の最後まで老いと死に抗して光を放ち続けたのです。
 谷崎没後50年の節目の夏の特設展では、貴重な写真や現存資料の数々を通してその大往生に焦点をあてます。ぜひお立ち寄り下さい。
 
2015年 秋の特別展「大谷崎と挿絵の世界」〜楢重・松篁・棟方など〜 会期 2015年9月12日(土)〜 12月6日(日)

谷崎潤一郎『鍵』(中央公論社 1956年)
 文学と美術――。ジャンルの異なる二つの芸術が融合し、美的世界を構築するのが、作品と挿絵の関係と言えます。挿絵には、作品の一場面を簡単にイメージさせるものや、ページの埋め草に添えられたものなど、さまざまな形があります。しかし、谷崎の名作の中には、画家とのコラボレーションによって完成されたものも少なくはありません。自身で装丁を手がけたり、作品に合った画家を選んで挿絵や装丁を依頼したりしていました。谷崎は、「自分の作品を単行本の形にして出した時に始めてほんたうの自分のもの、真に「創作」が出来上つたと云ふ気がする。」(「装幀漫談」)と述べているほどです。
 古典回帰を果たした記念の名作「蓼喰ふ虫」は、新聞連載時に小出楢重の挿絵に励まされて書き進めたことを明かしています。

小出楢重「蓼喰ふ虫」挿絵原画
 谷崎が生涯三度にわたって挑戦した源氏訳では、旧訳のポスターを鏑木清方が描き、新訳では、彼の門下であった伊東深水が手がけています。また、新訳の挿絵では、安田靫彦を筆頭に、著名な日本画家たちが一斉に手がけ、現代における最上の源氏絵巻となりました。さらに新々訳では、新訳の挿絵に彩色を施した「彩色挿画入豪華版」を刊行しており、新たに京都画壇の重鎮・上村松篁が加わっているのです。
 そして、「鍵」「瘋癲老人日記」などの晩年三部作は、棟方志功の力強い板画が作品世界を如実に表現しています。
 日本を代表する画家たちが谷崎文学の美的世界を彩り、作品の魅力を最大限に引き出したのです。没後五十年を迎えた記念すべき年、谷崎文学を挿絵の視点から捉えなおします。文豪と画家が生み出した芸術世界をご堪能下さい。

■特別展開催時の記念館入場料は一般400円、65歳以上200円、高校・大学生300円、中学生以下無料となります。
 
2015年度 冬の通常展「谷崎潤一郎・人と作品」特設展示「銀幕の文豪・谷崎潤一郎」 会期 2015年12月12日(土)〜 3月27日(日)

 

谷崎が女優としてデビューさせた
義妹せい子・大正9年(谷崎脚本映画
「アマチュア倶楽部」撮影現場でのスナップ)
 本格的な文壇デビューを果たした谷崎潤一郎が、その作家としての可能性をさまざまに模索していた大正時代。それはまた、日本映画界が盛り上がりをみせはじめた時期でもありました。谷崎はさっそく、この目新しい芸術表現にも強い関心を示します。

谷崎脚本映画「アマチュア倶楽部」撮影記念写真
大正9年(前列中央の白い服が谷崎)
 みずから脚本を書き、映画をモティーフにした作品も多く執筆しました。谷崎文学の美意識や創作手法には、映画が与えた影響もみられます。映画界との深いつながりからか、その名作の数々はたびたび映画化されてきました。華やかな女優たちとの交わりも谷崎らしく、創作への刺激ともなったでしょう。

谷崎脚本映画「雛祭の夜」スナップ
大正10年(右が谷崎、劇中劇で人形を操る)
 冬の特設展示では、谷崎原作映画のアルバムやスナップ、女優たちをはじめ映画人との交遊を物語る品々ほか、さまざまな資料を通して、谷崎潤一郎と映画との関わりを浮き彫りにしていきます。
 さて大文豪は、彼の愛した銀幕の中でどのようにクローズアップされるのでしょうか・・・。乞うご期待!

2014年度
 
平成26年度 春の特別展 「棟方志功と谷崎潤一郎」〜鬼才と文豪の宴〜
会期 平成26年4月1日(火)〜平成26年6月29日(日)
 豊満で生命力に満ちあふれた女体や女神像を制作し「世界のムナカタ」と称された板画家、棟方志功(1903〜75年)は、文学をテーマにした数々の板画を生み出したほか、小説の挿絵や装丁装画も手掛けました。谷崎潤一郎(1886〜1965年)とも1946年に再刊された『痴人の愛』の装画に始まり、56年の『鍵』や60年の『瘋癲老人日記(ふうてんろうじんにっき)』の挿絵、谷崎の和歌を棟方が板画に仕立てた57年の『歌々板画巻(うたうたはんがかん)』など、貴重なコラボレーションを数多く残しています。
 谷崎は「私の『鍵』や『瘋癲老人日記』等々に板画を以て描いてくれた挿絵の数々の面白さには、私は深く敬服している。私は今でもこれらの作品を座右に置いて、時々開いて見ては飽くことを知らず眺めている」(「『板極道』に序す」)と賛辞を寄せ、<眼病の棟方志功眼を剥(む)きて猛然と彫(え)るよ森羅万象>という歌を詠みました。棟方にとっても谷崎作品にかかわる仕事は「いつも今度こそ今度こそ、先生のあんばいにお添いしようと思いながらも成れずにおります。今度こそは」(『板極道』)と書くほど特別なものだったようです。生命の根源から発するエロティシズムに深く感応し、終生女性を賛美し続けたという点で、2人には共通点があったに違いありません。
 春の特別展では「棟方志功と谷崎潤一郎」〜鬼才と文豪の宴〜と題し、2人の交流と影響関係を約100点の展示物によってお見せします。  なお、展示品は時期によって入れ替えがあります。

■特別展開催時の記念館入場料は一般400円、65歳以上200円、高校・大学生300円、中学生以下無料となります。
 
平成26年 夏の通常展 谷崎潤一郎 人と作品
特設展示 文豪・谷崎と三人の妻
会期 平成26年7月5日(土)〜9月7日(日)
 文豪・谷崎潤一郎は、その生涯に三人の妻を持ちました。千代、丁未子、松子。最初の妻・千代とは相性が合わず、佐藤春夫との三角関係を引き起こして世相を賑わせるスキャンダルとなりました。二人目の丁未子は、流行作家谷崎に好奇心も旺盛に近づいていた女学生でしたが、その若さゆえにか結婚生活は二年ほどで破綻します。そして、最後の妻・松子は船場の大商家に嫁ぐ人妻―「御寮人」。運命的な出会いと熱烈な恋の末に、谷崎と結ばれます。
 三人の女性たちにとって、文豪との生活はどのようなものだったのでしょう。また、谷崎にとって彼女らとの生活は何を意味したのでしょうか。ひとつだけいえるのは、数々の傑作が三人の妻との関わりを背景にして生み出され、谷崎文学の世界を豊かにしていったということでしょう。「蓼喰う虫」「卍」「猫と庄造と二人のおんな」「春琴抄」・・・。脂の乗り切った谷崎の名作群は、彼女らを抜きにしては語れません。
 自筆書簡や写真などから、彼女たちの人となりや谷崎との関係、そしてそれらが作品世界と響きあっていく様相を浮き彫りにしていきます。
  
写真左:千代との結婚記念
写真中:谷崎との婚約直前の丁未子
写真右:谷崎との同棲時代の松子
 
平成26年 秋の特別展
「細雪」への招待 〜遥かなる美の世界〜
会期 平成26年9月13日(土)〜12月7日(日)
「こいさん、頼むわ。―――」


「細雪」のモデルたち
昭和15年春平安神宮で
(撮影/谷崎潤一郎)
 このひと言で「細雪」の世界は幕をあけます。日本の小説のなかでも一二をあらそう、独創的で印象的な書き出しでしょう。女たちが音楽会行きの着物を吟味し帯を選ぶこの冒頭は、昭和十一年の秋。それから昭和十六年春まで、芦屋に暮らす裕福な一家の生活が細やかに書き綴られていきます。
 作品のモデルは谷崎一家そのもの。描かれたエピソードも、当時の事実ほぼそのままです。波乱万丈もとりたてたストーリーもありません。が、戦火に瓦解していく運命を目前にした、「良き日本」の、日々のなにげないあれこれの、なんと豊かで美しく愛おしいことか。伝統とモダンとの絶妙の調和―― 谷崎はその理想の宇宙を、作品に結晶させたのかもしれません。
 執筆の大半は疎開先でのこと。敗戦後一年を待たず刊行が開始されました。活字の中によみがえった戻らぬ日々は、焼け跡に立ち尽くす人々を浄化し力づけたに違いありません。
 そして、戦後七十年を迎えようとする今も、人々はその遥かなる美しい世界に共感しあこがれ続けているのです。
 今回の特別展では、日本近代文学屈指の傑作「細雪」を取り上げ、執筆〜刊行の時代背景等をもからめながら、その作品世界へと皆さまをいます。主な展示品は、冒頭部をはじめとする「細雪」自筆原稿数点、作品にも登場する松子夫人愛用の琴、俵屋宗達作と箱書きに記された谷崎愛蔵の「源氏物語屏風切」など、貴重な品々ばかりです。
 この機会に、ぜひ展示室へお立ち寄り下さい!

■特別展開催時の記念館入場料は一般400円、65歳以上200円、高校・大学生300円、中学生以下無料となります。

松子夫人愛用の琴

「源氏物語屏風切」
 
平成26年度 冬の通常展 「谷崎潤一郎 人と作品」
特設展示 「震災と谷崎」
会期 平成26年12月13日(土)〜 平成27年3月22日(日)
 谷崎は、大の地震嫌いでした。そんな彼の人生と文学にとって、大きな転換点となったのがほかならぬ大地震であったのは、皮肉な成り行きというべきでしょうか。

関東大震災を逃れて
芦屋に降り立つ谷崎
(大正12年9月)
 1923(大正12)年9月1日正午、相模原湾沖を震源とする大地震が甚大な被害をもたらした、関東大震災。箱根の宿で執筆をしていた谷崎は、移動中のバスの中でこの大地震に呑み込まれます。が、文字どおり九死に一生を得て、関西地方に逃れてくるのです。当時―そして1995年1月17日までは―、関西は大きな地震の起こらない土地として通っており、谷崎にとっても安心できるところだったのでしょう。


阪神大震災で倒壊した
岡本の旧谷崎邸
 やがて、震災から復興していく東京の、あまりに急激で粗野な近代化の有様に失望した谷崎は、そのまま関西に腰を落ち着けその風土や歴史文化を愛するようになります。そして、そこに息づく伝統美に目を向けていくのです。モダニズムから、たとえば「陰翳礼讃」に典型的に表された伝統的な美意識へ―「古典回帰」といわれる、谷崎文学の大きな転換でした。
岡本梅の谷にみずから設計した自宅の意匠は―この豪邸は奇しくもあの阪神大震災で倒壊してしまいましたが―、こうした美意識の転換の有様を如実に物語っています。さらに、この家で執筆された「蓼喰う虫」もその転換の様相を鮮やかに反映して、みずからも自負する、文豪谷崎への道を決定づける傑作となりました。
 特設展示では、大地震をきっかけとした谷崎文学の転換を、自筆原稿や初版本、写真等の貴重な資料によって跡づけます。皆さま、ぜひお運び下さい。
 
 

■谷崎旧邸めぐり 4/5と18、4/12と25
■よみうり読書芦屋サロン 作家 万城目学 4/10
■谷崎朗読シアター「春琴抄」 4/29と30
■細雪上映会(1983年東宝) 5/18
■山田章博〜挿画の世界展〜ギャラリートーク真山仁 6/8
■第28回残月祭 作家 平野啓一郎講演「恋すること、愛すること」 7/24
2013年度
 
平成25年春の特別展「猫を愛した作家たち」
会期 平成25年3月30日(土)〜5月26日(日)
 なぜ作家たちは、「猫」に惹きつけられるのでしょうか?
近代以前の文学では、猫は人間の理解を超えた怪奇を表すことがほとんどです。が、漱石の「吾輩は猫である」を皮切りに、数多くの文学者たちが猫について様々に書き、また猫を愛してきました。近代の作家たちが猫に見い出し仮託したものは、人間社会を皮肉たっぷりにとらえるクールな批評眼であり、他者との距離を保ち、群れよりも孤高を、依存よりも独立を志向する誇り高き精神であり、憂いを帯びた内省と繊細な感受性であり、あるいは男を魅惑し支配する牝猫の冷やかなコケットリーでした。
 それらは、近代的な「個」の表現の、様々なヴァリエーションともいえそうです。
作家たちの猫への愛も、また様々です。
 作品の猫に自らを重ね合わせた漱石は、現実の猫へはかえって微妙な距離を置き、彼らしい緊張感を保っています。来世は猫に生まれ変わることを願った宗教的ともいえる大佛次郎の思い入れは、生きとし生ける猫すべてへの愛着に結びつきました。
気難し屋を自認する内田百閧フ、身も世もないほどの溺愛と執着には、自らの孤独が表裏になっているかのようにもみえます。そして、猫を女性に見立て、また女性を人形か神としてしか扱えなかった谷崎は、愛猫を剥製にしたのでした・・・。
 さあ、猫と作家たちとの奇妙な愛の世界にお招きしましょう。




■特別展開催時の記念館入場料は 一般400円、高校・大学生300円、中学生以下無料(いずれも団体割引あり)となります。
 
平成25年夏の通常展 谷崎潤一郎 人と作品
特設展示 猫に魅せられた文豪 〜猫と谷崎と二人のおんな〜
会期 平成25年6月1日(土)〜9月8日(日)
谷崎と愛猫「タイ」昭和12年頃
撮影:渡辺義雄
 今回の特設展示では、好評だった春の特別展「猫を愛した作家たち」のうち、「谷崎と猫」の部分から、なかでも「猫と庄造と二人のおんな」をクローズアップしてみました。
 大の猫好きだった谷崎。生涯に数多くの猫を飼いましたが、そのほとんどは雌猫でした。どうやら、猫を女性に見立てて可愛がっていたようです。その愛情が高じた末に、なのかどうか、愛猫を剥製にしてしまったというのは、いかにも谷崎らしい。
 作品にもしばしば猫を登場させています。代表作「細雪」には、何度となく猫が効果的に使われて印象深く、猫を主題にしたエッセイもおもしろい。
 とりわけ、「猫と庄造と二人のおんな」は、日本の猫文学の最高峰といえます。何よりも猫を愛する男・庄造と、二人の女性と雌猫「リリィー」との、奇妙な四角関係を描いた作品です。この物語の読みどころのひとつは、庄造の異常ともいえるリリィーへの愛着ぶりと、そんな彼が未練たらたらに愛猫と別れつつ、やはり想い切れずにジタバタする、いかにも愚かしい愁嘆場の機微でしょう。
谷崎の愛猫「ペル」の剥製
 また、この小説は、当時の谷崎の私生活を背景としていました。庄造は、猫好きの谷崎自身と重なりますし、品子にも福子にも、それぞれモデルがあります。もちろん、雌猫「リリィー」にも「モデル猫」がいました。今回の特設展示では、谷崎自筆の書簡を中心に、そんな現実と虚構との関係も浮き彫りにします。
 谷崎の愛猫「ペル」の剥製をはじめ、猫をめぐる谷崎自筆の数々の書簡など、稀代の猫好き文豪・谷崎潤一郎の、猫への熱い思い入れが伝わってくる貴重な品々を展示。春の特別展をお見逃しになった方は必見、特別展にお越しになられた方々にはまた、新鮮な印象をお持ち帰りになっていただけることでしょう。
 ぜひ、ご覧ください!
 
平成25年秋の特別展
狐と谷崎、そして歌舞伎
会期 9月14日(土)〜12月8日(日)
押絵弁天小僧
早稲田大学演劇博物館所蔵
 古くから人間と深いかかわりを持つ動物、<狐>。イソップ童話の「すっぱいぶどう」から日本の民話やことわざ、新美南吉の「ごんぎつね」まで、<狐>はさまざまな物語に登場してきました。稲荷信仰では神の遣いとして崇められたかと思うと、中国では王を惑わし国を滅ぼす妖婦が狐の化身とされるなど、その表すイメージにはさまざまなヴァリエーションがあります。
鏡獅子を演じる六代目尾上菊五郎
早稲田大学演劇博物館所蔵
 谷崎もまた「母を恋ふる記」(大正8年)で若く美しい母を狐と重ね合わせて描き、「痴人の愛」(大正13〜14年)では奔放な性的魅力を発散するヒロインを狐に喩えました。狐はさまざまなものに変化しては、人間を魅了し続ける存在なのです。
 慈母から妖婦までを表すそんなイメージの源になったのは、谷崎の幼少期における歌舞伎体験でした。狐と人間の婚姻を描く「蘆屋道満大内鑑」や、静御前と狐が化けた忠臣の道行きで知られる「義経千本桜」などを、九代目市川団十郎や五代目・六代目尾上菊五郎の芝居で観た体験は、幼い谷崎の心に深く刻まれました。「母―狐―美女―恋人」という連想は、長い時間を経て名作「吉野葛」(昭和6年)の<母恋い>の物語へと結晶したと、谷崎は後年の随筆「幼少時代」(昭和30〜31年)で述懐しています。
 特別展では幼い谷崎が実際に観た九代目団十郎演じる「蘆屋道満大内鑑」の芝居絵や、五代目菊五郎の「弁天小僧」の押絵、六代目菊五郎による「鏡獅子」の舞台写真、隈取りを写し取った押隈など約100点を展示しています。谷崎文学の土壌となった歌舞伎の世界を体感し、文豪の心の軌跡を追体験してみてください。
なお、展示品は時期により入替えがあります。
■特別展開催時の記念館入場料は一般400円、高校・大学生300円、中学生以下無料(いずれも団体割引あり)となります。
 
平成25年度 冬の通常展 谷崎潤一郎 人と作品
特設展示 「細雪」と日本の戦後復興
会期 平成25年12月14日(土)〜平成26年3月23日(日)
戦中から戦後へと書き継がれた、名作「細雪」。それは、文豪谷崎潤一郎が生み出した、極上の風俗小説でもありました。映画のロードショウやホテルのレストランでのお見合い、知人の家での音楽会、歌舞伎見物にお花見、蛍狩り・・・。モダンと日本の伝統とが見事に調和した、阪神間に住む中産階級の平和で豊かで美しい日常が、細やかに描かれていきます。
松子夫人愛用の光琳菊の蒔絵の琴
戦争のただ中、おそらくは滅び行くであろうその美しい生活を、谷崎はとどめおきたかったのでしょう。それは、意図せぬ戦争への抗議となり、軍部を苛立たせました。そして敗戦。灰燼の中、作品として蘇った美しい日々は、人々を魅きつけ励まし、戦後復興の糧とも道しるべともなっていったのです。 しかし、「細雪」の美は、もはや取り戻されることはなかったようです。その意味で、「日本の戦後復興」は、なお未完であるのかもしれません。「細雪」の世界は、いまだ人々の憧れとして、その生命力を保ち続けているのです。
『私家版細雪』上
特設展では、日本の戦争・復興と、「細雪」とが交錯していく様子を浮き彫りにします。主な展示品は、爆発的な売れ行きだった『細雪』全巻本に小磯良平が寄せた口絵の原画、作品にも登場する松子夫人愛用の光琳菊の蒔絵の琴、戦火激しい中で、軍部の目を掻い潜りながら刊行された希少な『私家版細雪(上巻)』等です。皆さま、どうぞお見逃しなく。
 
 

■よみうり読書芦屋サロン 作家 綿矢りさ 4/15
■谷崎朗読シアター「猫と庄造と二人のおんな」 5/5と6
■卍上映会 5/18
■谷崎旧邸めぐり 5/10と5/25、5/31と6/8
■「聞いて楽しい源氏物語早わかり全5回講座」 4/25〜8/22
■第27回残月祭 「狐と谷崎、そして歌舞伎」7/24
■朗読演劇 劇団らせん館「夕陽の昇るとき」8/18
■岡田嘉夫「現代の歌舞伎考」9/28
■特別講座「谷崎潤一郎と歌舞伎」10/13
■特別講座「谷崎を魅了した名優たち」11/4
■第49回谷崎潤一郎賞受賞記念 特別講演会 川上未映子「物語と『前の日』」11/25
■朗読シアター「吉野葛」あおぞらドラマカンパニー12/1
■記念館図録「谷崎潤一郎 人と文学」刊行
■ギャラリートーク 橋本治x岡田嘉夫 2/16
2012年度
 
2012年度 春の特別展 文豪・谷崎潤一郎の先覚〜「源氏」「細雪」「鍵」・・・名作にみる出版戦略 2012年4月1日〜6月24日
「思想なき文豪」―谷崎潤一郎は、しばしばそう評されます。戦争に象徴される、政治や歴史の大きな転変への無関心。文壇の動向にも超然としていました。反面、時の風俗・流行・世相の動向―時代の「気分」には敏感であり続けました。世の中が今何を求めているかを嗅ぎあてることに巧みだったのです。
 谷崎が本格的に執筆活動を始めるのは、大正にさしかかる頃。日本の出版文化はようやく成熟しつつありました。今日的なプロデューサーとしての編集者がはじめて登場し、女性雑誌も創刊されます。「円本」の大ブームは活字文化の社会的普及をもたらし、出版事業の本格化を導きました。谷崎は、そうした時流に乗っていきます。「専属作家」ともいえる出版社との新たな関係を切り拓きつつ、次々と話題作をヒットさせていったのです。大正〜昭和初期の「モダン・ガール」の時代風潮を見事にとらえた「痴人の愛」は、「ナオミズム」の流行語をも生み出し社会現象となります。戦争推進の復古主義の気分を逆手にとった華麗な「谷崎源氏」は、刊行するや20万部にせまる大ヒットを記録。「細雪」の平穏で豊潤な日常は、戦火の中で多くの声無き声の憧憬を集め、敗戦の灰塵にまみれた日本人にも熱狂的に受け入れられました。「鍵」「瘋癲老人日記」の、「老人の性」を取り上げた先覚は、今こそ光りを増すでしょう。
 今回の特別展では、作家と出版メディアと社会の三者の関係の展開の中に谷崎潤一郎の創作活動と諸作品を位置づけます。主な展示品は、棟方志功作「瘋癲老人日記」挿画、鏑木清方作「谷崎本源氏物語を読む少女」、谷崎直筆原稿「細雪」「蘆刈」などです。装丁や挿画にも意を凝らし、豪華な愛蔵本の刊行などの趣向も織り交ぜながら、半世紀にわたって「売れる」作品を送り出し続けた文豪・谷崎。その進取に富む戦略的な自己プロデュースの様相をご覧下さい。
 
平成24年夏の通常展 谷崎潤一郎 人と作品<br>
特設展示 戦争と谷崎 〜文豪の疎開生活〜<br>
会期 平成24年6月30日(土)〜9月23日(日)
 今回の特設展示では、谷崎の疎開生活に焦点をあててみました。
 昭和17年(1942)春、谷崎は単身熱海の別荘へ移ります。戦争の喧騒を逃れ「細雪」執筆に専念するためで、事実上の「疎開」でした。昭和19年4月には、激しさを増す戦火を前に、ついに一家をあげて住み慣れた阪神間を去ることになります。昭和20年5月には岡山へと移る疎開生活は、敗戦を経て昭和21年5月まで続きました。
 疎開生活の中心となったのは、やはり「細雪」の執筆でした。谷崎は、平時と同じく、日々黙々と原稿を書き続けたのです。作品の大半は、熱海で書き上げられています。「平時と同じ」態度は、食生活でも同様でした。「疎開」中とは到底信じられない、美食・大食ぶりには目を見張ります。敗戦前夜の昭和20年8月14日、永井荷風を招いての晩餐は、日本酒を傾けてのスキ焼でした。阪神間時代以来の地歌の師匠・菊原初子との風雅な交流も、途絶えることはありませんでした。家族の絆をはじめ、友人・知人との人間関係を大事にしたのも、それが日常生活をささえる根底であるという強い意識があったからのように思えます。
 谷崎の頭上を通り過ぎていったかのようにみえる戦争の狂乱。が、それは、自然に過ぎていったのではありませんでした。強靭な意志をもってやり過ごしたのです。疎開生活の中に築き上げられた日常は、阪神間時代の生活の続編であり、傑作「細雪」は、その平穏の中でこそ書き継がれることができたといえるでしょう。
 主な展示品は、疎開生活を綴った「疎開日記」「越冬記」の自筆原稿、疎開中に書かれた書簡、熱海で上梓された私家版「細雪」上巻、岡山に遺されていた「細雪」下巻の反古原稿等。戦争の中でも見失われなかった「谷崎らしさ」を髣髴とさせる、貴重で興味深いものばかりです。皆さま、どうぞお見逃しなく。
 
平成24年 秋の特別展示 「陰翳礼讃」の世界〜よみがえる伝統美
会期 平成24年9月29日(土)〜12月24日(月)
 エッセイでありながら、谷崎文学の中でいま最も読まれている「陰翳礼讃」。発表された昭和初年は、谷崎文学が大きく転換し、日本回帰を果たした、まさに豊穣の時期でした。大正十二年の関東大震災によって横浜から関西に移住した谷崎は、地唄や三味線の稽古に励み、伝統芸能に傾斜した生活を送っていました。「痴人の愛」に代表される大正期の悪魔主義・西洋主義的作風を一変させ、昭和三年の「蓼喰ふ虫」を皮切りに、日本の古典美を描写した作品群を発表。不動の地位を確立したのです。
「陰翳礼讃」は、東洋の伝統的な美が織り成す、光と闇の効用を丹念に描出した類まれなエッセイであり、作家による特異な文化論となっています。ここで谷崎は、日本家屋や日本食、器など身近なものから、古典芸能に至るまで多岐にわたって取り上げ、美と闇のコラボレーションに注目しています。日本座敷を墨絵に見立て、障子の淡い明かりや床の間の暗がりを墨の濃淡に喩えて、陰翳の魔法を見るのです。また、日本人の陰りある皮膚の色が、能衣裳の金色と馴染むことや、古来日本女性の化粧法が鉄漿(おはぐろ)や青い口紅で口元に陰翳をつけるなど、西洋文化との異なりを饒舌に論じています。日本独特の美が「生活の実際から発達する」さまをあぶり出すのです。谷崎が取り上げる漆器や化粧道具、さらに能衣裳や文楽人形など、少し照明を落とした中では、どのように映るのでしょうか…。
 谷崎文学のエッセンスが凝縮した「陰翳礼讃」の美意識は、昭和初期に発表された名作群の源となっているでしょう。「春琴抄」「盲目物語」の光を失った盲目の世界と、そこで奏でられる琴や三味線の音色、そして気高い女性…。闇の中に構築する谷崎文学の美的世界をご堪能下さい。

■特別展開催時の記念館入場料は 一般400円、高校・大学生300円、中学生以下無料(いずれも団体割引あり)となります。
 
2012年度 冬の通常展「谷崎潤一郎 人と作品」
特設展示「震災と文学」
会期:2013年1月5日(土)〜3月24日(日)
 阪神・淡路大震災は、1995年1月のことでした。それを境に、日本列島のそこかしこを絶え間なく大地震が襲い、あの2011年3月11日を迎えたのです。今は復興の光も仄暗い中、迫り来る次の大地震の影が覆っています。地震災害は今、深刻で複雑な課題を、容赦なく私たちに突きつけているのです。
 今、文学は、いかなる役割を果たすことができるのでしょうか。
関東大震災を逃れて芦屋に降り立つ谷崎潤一郎
1923(大正12)年9月
 特設展示では、3度の大震災と作家や文学作品との関係に、焦点をあててみました。関東大震災と谷崎潤一郎、寺田寅彦、吉村昭。阪神・淡路大震災では宮本輝、村上春樹、貴志祐介。東日本大震災も、すでに創作に取り込まれつつあり、長谷川櫂、村山由佳、彩瀬まる、といった人々が作品を発表しています。
 こうした作家たちの作品を紹介し、じっさいに皆さまに広くお読みいただくきっかけとなればとの思いから、今回の特設展示を企画しました。
 作家たちも、大震災の圧倒的な現実を前に、しばし呆然と立ちすくむかのようです。が、やがてその経験を文字化し、語り始めます。そこには、今こそ汲むべき、普遍的な英知と共感の泉があるはずです。ぜひ、彼らの思いに触れ、そして、その作品を手にとってお読み下さい。

 ※今回の特設展示は、全国文学館協議会の呼びかけで、東日本大震災から2年の2013年3月11日に合わせ、「天災地変と文学」を統一テーマに、全国各地の文学館がいっせいに企画展を催すという試みの一環です。
 
 

■よみうり読書芦屋サロン 作家 荻野アンナ 4/16
■細雪上映会 5/4
■谷崎旧邸めぐり 5/25と6/2、6/1と6/9
■谷崎朗読シアター「蘆刈」 7/15と16
■第26回残月祭 知られざる名作「蘆刈」〜<陰翳>の美 7/24
■林真理子講演会「源氏物語と私」 9/20
■能楽師 梅若基徳ライブトーク「能を語る」 10/21
■よみうり読書芦屋サロン 貴志裕介 10/22
■谷崎潤一郎新聞 発行 〜文豪は時空を超えて〜 10月
■陰翳礼讃の世界にひたる現地講座 10/26と11/9
■特別レクチャー「陰翳礼讃に見る日本の美意識」 11/25
■谷崎潤一郎賞受賞記念 特別講演会 高橋源一郎「震災と文学」11/29
■特別レクチャー「陰翳礼讃の美学〜芸能・美食・女性」 12/22
■特別レクチャー「震災と文学」 2/11
■特別講演「谷崎潤一郎X村上春樹〜震災と芦屋をめぐって」 3/10
2011年度
 
芦屋市谷崎潤一郎記念館 平成23年春特別展
“四姉妹の昭和―よみがえる「細雪」の世界”
―開催期間:2011年4月2日(土)〜6月26日(日)―
四姉妹のモデルになった松子夫人(前列右から二人目)とその姉妹たち。 後列右端は、松子夫人の娘・恵美子さん。
 名作「細雪」は、芦屋に住む富裕な中産家庭の平穏で美しい日常を淡々と描きます。谷崎は、松子夫人やその姉妹たちとともに暮らした日々を、日記を綴るようにうつしとっていったのです。美しい女たちが華やいだ、古き良き昭和。小説の幕開きは昭和11年秋、昭和16年の春が終章となっています。背景には、2・26事件から日中戦争を経て太平洋戦争へという歴史の激動があるはずなのですが、<「細雪」の世界>は、忍び寄ろうとするその影を懸命にふり払っているかのようです。作品の執筆は、戦禍が激しくなる頃から敗戦直後にかけて。谷崎は、喪われゆく美しくも懐かしい生活を、戦争という不純物をとり除きつつ描き留めようとしたのでしょうか。
 谷崎が愛し実践した「細雪」の生活は、明治末〜大正期の経済成長と政治・文化における自由の伸長を背景としています。この間に、諸都市の人口は2〜3倍にも膨れ上がり、カフェ―やレストラン、デパートや劇場に象徴される消費的な都市文化も華ひらいていきました。一方、工業化の進展と人口集中によって都市の生活環境はようやく悪化しつつあり、大阪の富裕層も、職場と居住の場とを切り離し阪神・阪急の沿線へと移り住んでいったのです。彼らは、六甲山系を背に海をのぞむ開放的で自然豊かな環境の中に住居を構えつつ、気の向くままに神戸・大阪・京都といった近隣諸都市の文化を享受しました。その生活は、近世以来の伝統的な都市文化の上に近代都市のモダンが織りあわさった調和の美に溢れたものでした。こうした、都市富裕層の経済力を背景に郊外としての阪神間を舞台に出現した生活と風俗が、<「細雪」の世界>の内実です。「細雪」は、谷崎の美意識を結晶させた極上の風俗小説だったのです。
「細雪」自筆原稿
 風俗小説としての「細雪」の醍醐味は、そこに描かれた美しく豊かな日常を読者が追体験し味わうところにあります。展示では、<「細雪」の世界>の生活と風俗を、同時代の生活資料を中心に美術品・写真・映像等によって復元していきます。重厚な蓄音器やラジオ・黒光りするミシン・古式豊かな雛人形等あの時代を彷彿とさせる品々、松子夫人とその姉妹の着物や愛用品、「細雪」の自筆原稿ももちろん出展。100点におよぶ多様な資料によって、芳醇な作品世界をよみがえらせます。
 麗しき<「細雪」の世界>を、心ゆくまでご堪能あれ・・・・・・。
 
「細雪」自筆原稿
 およそ作家にとって、原稿を書くこととは、生きていることの証しなのでしょう。谷崎潤一郎の場合も、原稿を書くことについては、尋常ではないこだわりを持っていたようです。原稿用紙からして、わざわざ自家製の版木で刷らせたりしています。印刷用の染料にさえ、あれこれと注文をつけました。和紙には墨筆で、洋紙の場合は鉛筆を使うというのが基本でしたが、墨を磨るリズムが執筆のペースに合うというので筆書を好みました。書き直しのため抹消された部分は、これでもかというほど執拗に塗りつぶされています。二度と見られたくないとの思いからだったといわれています。谷崎がペンを使わなかったのは、筆圧が強いこともあって、抹消するさいに原稿用紙が破れてしまうからでもありました。書体は楷書―それも小学生が先生に見せるために書く時のような、素朴で几帳面な楷書体で書かれています。編集者が文字を誤って読みとることのないよう、明確でわかりやすい書体を用いたのでした。
執筆は、日常の生活空間とは切り離された、別棟の書斎で行われました。毎朝決まった時間に母屋から書斎へ「出勤」し、夕方また決まった時間に戻るという風でした。執筆の間は、家族でさえ書斎には近づけなかったといいます。自他みとめる遅筆でしたが、毎日少なくとも二枚の原稿は仕上げたということです。
今回の特設展示では、記念館所蔵品を中心に、谷崎の自筆原稿を特集します。原稿は、作家自身の分身です。「細雪」をはじめ、貴重な原稿の数々は、文豪の魂を浮き彫りにしてくれます。見る者には、肉筆の中に今も生きる谷崎の体温や息づかいが、間近に感じとられることでしょう。皆さま、お見逃しなく。
 
 

開催期間:2011年10月1日(土)〜12月25日(日)
子供たちがあこがれた少年探偵団のグッズ
 谷崎潤一郎は、明治・大正・昭和と三つ時代にわたって活躍し、「春琴抄」「細雪」「瘋癲老人日記」など、珠玉の名作を遺しました。中でも大正期に集中して数多くの探偵小説を創作し、「探偵小説の中興の祖」とも呼ばれているのです。明治期に人気を博した黒岩涙香から、大正末期に登場した江戸川乱歩までの空白を埋めたことによります。
日本のミステリー界をリードした江戸川乱歩と横溝正史は、谷崎から多大な影響を受けたことを、エッセイや作品などで触れています。乱歩は谷崎の「金色の死」を読み、作家になることを目指しました。大正九年に発表された谷崎の「途上」について、「日本に誇り得る探偵小説」と題したエッセイで絶賛し、同じ趣向を借りて「赤い部屋」を創作しています。また、神戸生まれの横溝は、中学生の頃から谷崎の作品を読んで探偵小説を学んだといいます。中期の作品「面影双紙」や「蔵の中」が谷崎作品の影響であることは、乱歩から指摘されていますし、同じく中期の代表作『真珠郎』の題字を谷崎に依頼し、手紙の遣り取りもしていたのです。今回の特別展では、三人の交流を示す直筆書簡をはじめ、生原稿や遺愛品など、ご遺族や立教大学(乱歩資料所蔵)、二松学舎大学(横溝資料所蔵)、山梨市横溝正史館からご協力を得て、展示いたします。
大正・昭和の探偵小説に描かれた妖しげな世界は、論理的な〈本格〉に対して〈変格〉探偵小説と呼ばれ、日本独自のものでした。その始まりとも言える谷崎の探偵小説、そして、乱歩・横溝へ脈々と受け継がれた独特な世界観をご堪能下さい。
 
芦屋市谷崎潤一郎記念館・通常展「谷崎潤一郎・人と作品」
特設展示 作家たちの直筆原稿 〜『谷崎潤一郎作品集』推薦文〜
舟橋聖一(左)と谷崎
 『自筆本蘆刈』『春琴抄』など、谷崎文学を代表する名作に、贅沢な装丁を凝らして刊行した創元社は、昭和二十五年に『谷崎潤一郎作品集』(全九巻)を刊行しました。「刺青」「少年」などの初期短編から「痴人の愛」「陰翳礼讃」まで、幅広く収録した作品集です。
 この作品集刊行の際には、作家たちに「推薦の言葉」を依頼し宣伝につとめました。舟橋聖一や小林秀雄など当時を代表する作家・批評家、もしくは和辻哲郎や辰野隆など、学生時代から谷崎を知る批評家・文学者が谷崎文学を評し、作品集刊行の意義を唱えています。
舟橋聖一自筆原稿
 今回の特設コーナーでは、作家たちが『谷崎潤一郎作品集』の推薦文を記した直筆原稿を展示します。時代を代表する作家たちの肉筆は、作家の個性を多分に表しているでしょう。それぞれの作家たちがどのように谷崎文学を推奨したのか…。その躍動する字体と内容をご覧下さい。
 
読売新聞大阪本社発刊の紙面に2011年4月30日から5月8日まで掲載され、好評を得ました連載「『谷崎』を歩く」全8回を、同社の許可を得て再録します。
サムネイルをクリックするとPDFでご覧になれます。

第一回 神戸・倚松庵
第二回 大阪・道頓堀
第三回 京都・平安神宮
第四回 大阪・道修町

第五回 芦屋・打出の家

第六回 大阪・船場
第七回 京都・法然院
第八回 芦屋・水道路
 
第七回 京都・法然院 第八回 芦屋・水道路
 
 
■谷崎を歩く 4/30-5/8
■細雪上映会 5/21
■谷崎旧邸めぐり 5/21と6/4、5/25と6/8
■特別企画 ミステリー講座(全3回)10/23、11/6、11/27
■第25回残月祭「妖しの世界への誘い」 7/24
■よみうり読書芦屋サロン 阿部和重 10/19
■谷崎潤一郎賞記念 特別講演会 稲葉真弓「私の文学」11/9
■朗読演劇「春琴抄」11/18
■島田雅彦・朗読&トーク 12/4

2012年1月15日芦屋市広報 特集 谷崎潤一郎記念館
http://www.city.ashiya.lg.jp/kouhou/kensaku/h24/documents/2012011545.pdf
2010年度
 
 
18歳の佐藤春夫
明治43年
'恋 love letter 文 '― 谷崎潤一郎とその親友・佐藤春夫、関わり深い二人の作家の恋文が、今回の特別展のテーマです。
 佐藤春夫は、谷崎の妻・千代と恋におちます。谷崎に疎まれ虐げられていた千代への同情が、愛へ熟していったのです。一度は、千代を譲ると佐藤に告げた谷崎でしたが、土壇場で言を翻します。これを機に、谷崎と佐藤は絶交。が、やがて二人は和解、結局、千代は佐藤の妻となるのです。
佐藤春夫の恋文
谷崎千代宛
 今回展示する佐藤の恋文は、谷崎の翻意から絶交に至るまでの間、ひそかに逢っていた千代に手渡されたもの。原稿用紙20枚の裏まで言葉を埋め尽くし、数日にわたって溢れんばかりの想いを書き連ねています。文面はなまなましく時に滅裂として、詩人の魂のたかぶりは、もはや心の均衡など意に介さないかのようです。その激情は、『殉情詩集』や「秋刀魚の歌」といった、佐藤畢生の詩編・絶唱へと結実していきます。
昭和3年頃の谷崎潤一郎
一方、谷崎が遺した恋文は、いずれも、相手を崇拝し仕え支配されたいとうったえる、型にはまったものです。谷崎好みの愛のかたちを演出し虚構していく恋文――。その虚構こそが、作品へと昇華されていくのです。根津松子と「盲目物語」「春琴抄」、渡辺千萬子と「瘋癲老人日記」……。恋文を支配している情熱は、女性へのものであるとともに、あるいはそれ以上に、創作へと向けられているかのようです。
 展示では、個性豊かな二つの恋文群をはじめ、宛名となった女性たちのおもかげを偲ばせる愛用の品々や貴重な肖像写真、恋文にまつわる作品の初版本等々、多彩な資料で、二人の作家の愛の輪郭を浮き彫りにしていきます。
谷崎潤一郎の恋文
根津松子宛

文明開化の波が華やかにもざわめかしい東京のただ中に生まれ、倒錯的な愛と性にこだわり続けた文豪・谷崎潤一郎。空が山が海が、まばゆく青い南国・和歌山は新宮の自然の中で、感性を育んだ天性の叙情詩人・佐藤春夫。対照的な二つの個性が書きとどめた恋文は、作品世界と絡みあいつつコントラストを際立たせ、今、それぞれの愛がよみがえります。
 
谷崎潤一郎は、本の装丁や挿画にもひとかたならぬこだわりを持っていました。様々な画家たちが、谷崎の名作を飾っています。なかでも棟方志功は、谷崎がもっとも好んだ画家のひとりです。『鍵』『瘋癲(ふうてん)老人日記』をはじめ、『夢の浮橋』『過酸化マンガン水の夢』等、後期〜晩年の数々の谷崎作品に、棟方は自作を提供しています。
棟方は、「版画」をあえて「板画」と表しました。『歌々(うたうた)板画巻(はんがかん)』は、棟方が谷崎の和歌を主題として彫りこんだ版画を集成した作品です。題材は、「桜吹雪」「彼岸会」「ちぬの海」「細雪」「しだれ桜」等々、バラエティーに富んでいます。
谷崎の和歌については、一般にあまり高い評価を聞きません。が、肉声がそのまま聞こえてくるような素朴でおおらかなその風情は、まるで谷崎が話しているようにも感じられ、なかに味わいがあるものです。たとえば、「ちぬの海」の歌ならば、「ちぬの海の 鯛を思わず 伊豆の海に 獲れたる鰹 召しませ吾妹」といった具合です。棟方の版画がまた、その「谷崎風」の和歌に見事に共鳴し、さらにその歌の世界をおし広げ、豊かに肉づけていくのです。棟方は、ここでは谷崎の挿絵画家ではありません。『歌々(うたうた)板画巻(はんがかん)』は、作家・谷崎を包み込んで、自己の芸術世界を全面的に展開した棟方の作品集ともいえるでしょう。そこに彫られた和歌の文字からしてすでに棟方の作品の一部であり、あたかも棟方じしんが作歌したかのような錯覚におそわれます。
今回の特設企画コーナーでは、この異色作『歌々板画巻』に収める棟方版画の原版、「歌々板画柵」全12点を一挙公開します。谷崎と棟方との、息のあったコラボレーションを、どうぞご堪能下さい。
 
 

■第24回残月祭「谷崎潤一郎と佐藤春夫 文豪たちに何があったのか」7/24
■第28回よみうり読書芦屋サロン 作家 綾辻行人 9/17
■谷崎潤一郎賞受賞記念講演会 阿部和重 ピストルズ 11/24
2009年度
 
 

- 開催期間:2009年1月6日(火)〜2009年4月19日(日) -
平安神宮の花見。昭和15年春。
右から、松子、恵美子、信子、重子。
撮影は谷崎。
  『細雪』は、谷崎文学の中でもっともよく知られた代表作ですが、しかももっとも谷崎らしくない異色の名作といわれています。
 作品は、昭和11年秋から昭和16年春にかけての、蘆屋に住む富裕な一家の年中行事を、美しい日本の四季の移ろいとともに綴っていきます。お正月、地唄舞の会、花見、観劇、お見合い、蛍刈り・・・。その内容は、当時の谷崎一家―谷崎と松子、松子の姉妹、そして松子の娘・恵美子―の生活をほとんどそのまま写し取ったものでもありました。谷崎は、迫りくる戦火を前に、今まさに失われようとしている日本の伝統美を、美しい女性たちに託して描き留めようとしたのだともいわれています。
 今回の特設展示は、「『細雪』の春」と題し、日本の伝統的な美的世界が絵巻のように展開される叙述の中でも、ひときわ華麗で印象深い新春から陽春の場面に焦点をあててみました。主な展示品は、『細雪』に織り込まれた谷崎一家の当時の生活が記録された写真―谷崎自身が撮影したものもあります―や、谷崎家の人々が愛用した品々、小説中の三女・雪子のモデルである重子のお見合いに関わる谷崎の書簡などです。
 この機会に『細雪』の美の真髄を味わっていただければ、と思っております。
 
戦後まもなく中央公論社から刊行された初版『細雪』
 谷崎潤一郎の傑作『細雪』は、日本の近代文学の中でももっともよく知られた名作の一つでしょう。作品は、昭和十一年秋から昭和十六年春にかけての、芦屋に住む富裕な一家の暮らしを、美しい日本の四季の移ろいとともに穏やかに綴っていきます。お正月、地唄舞の会、花見、観劇、お見合い、蛍刈り……。それは、当時の谷崎一家―谷崎と松子、松子の姉妹、そして松子の娘・恵美子―の日常そのものでもありました。伝統とモダンとが美しく響き合う幸福な日々。あくまで典雅な叙述は絵巻のごとく、濃厚でともすれば倒錯的な愛と性を描いた谷崎の作品群の中で異彩を放ちます。
芦屋市谷崎潤一郎記念館蔵
『細雪』下巻反古原稿
 小説の時代は日米開戦前夜、執筆は開戦の翌昭和十七年に始められます。足速な近代化と軍靴のざわめきが眼前の美の世界を侵しはじめた時、谷崎はそれを美しい女性たちに託し描き留めようとしたのでしょうか。戦争など影すら寄せつけないその優美さに軍部は苛立ち、作品の連載は中断を余儀なくされます。が、その後も筆は折られず、敗戦後の昭和二十三年、足掛け七年にして『細雪』は完結・完成。失われた時を焼け跡に蘇らせたこの小説はたちまち大ベストセラーとなり、今日なお生命力を保ち続けているのです。

戦後まもなく中央公論社から刊行された初版『細雪』
 『細雪』完成から六十年、記念の特別展では、こうした作品の全体像をわかりやすく示す主展示の他、特設展示コーナーを設け、谷崎の疎開先岡山で敗戦後執筆され同所に遺されていた下巻反古原稿七枚を一挙公開、中央公論新社所蔵の最終稿と対比します。世の激動を掻い潜るような執筆の中でも、敗戦をはさみ新たな時代へと書き継がれた下巻。六十年の歳月を隔てた二つの原稿の出逢いは、今見るのとはまったく異なった下巻の姿を浮かび上がらせて、時代の転変の中での作家の生みの苦しみを垣間見せます。
主展示では、有名な冒頭部や終末部、平安神宮の花見をはじめ『細雪』名場面の自筆生原稿の数々が、名作誕生の瞬間を伝えます。他にも、小磯良平による挿画原画(戦後『婦人公論』連載時)および口絵・装丁原画(『細雪』全巻本)、菅楯彦による初版装丁原画等を貼り込めた美麗な屏風等、今回展示される中央公論新社所蔵の資料は、普段一般に公開されることのない貴重なものばかりです。当時の谷崎一家の写真や愛用の品々・書簡など、作品世界を彷彿とさせる館蔵資料とともに、『細雪』の美の世界をご堪能下さい。
 
猫のタイと
 谷崎潤一郎の猫好き、――それはあたかも恋人を愛するのと同様でした。彼のエッセイには猫への愛情が惜しみなく述べられており、作品では猫が効果的に描かれ、躍動感と現実感を与えています。中でも中期の代表作『猫と庄造と二人のをんな』には、猫をめぐった三角関係が描かれています。女性よりも愛猫を渇望する庄造の姿は、そのまま谷崎の猫を愛する心理のあらわれと言えるでしょう。
一方で、谷崎は犬も飼い、代表作『蓼喰う虫』『台所太平記』などに描き、作品に明るさやユーモアを与えています。温度差はあるものの、犬にも愛情を注ぐ谷崎の姿が垣間見られます。その反面、『狆の葬式』『日本に於けるクリップン事件』といった作品では、犬を通して死や殺人事件などを描いており、人間の心理や社会の暗部を投影させているのです。
今回の特設展示では、谷崎と猫を中心に、いかに谷崎が猫を愛し作品に描いたかを、犬と対比しながら紹介します。
 
潺湲亭にて孫のたをりと。
昭和30年頃。
 『刺青』『痴人の愛』『卍』『春琴抄』『鍵』『瘋癲老人日記』…。「谷崎らしい」一連の作品があります。そこでは、美と快楽に支配されるがまま、身近な人々を傷つけ、自らも堕ちていく人間の姿が描かれていきます。それは、モラルを意に介さないエゴイスティックな「耽美主義者」「悪魔主義者」、家族をも顧みない芸術至上主義者としての谷崎自身の素顔でもあるのでしょうか。
しかし、この顔は、多くの写真に遺された、家族や縁者に囲まれる谷崎晩年の笑顔とは異なります。一方、書簡や逸話等からは、一家の人々を気遣う律儀で父性愛に溢れたもうひとりの谷崎があらわれて、写真の笑顔と重なっていくのです。
自身の創作エゴのため、一家の女性たちを度々傷つけた谷崎。反面、彼女らの行く末を案じ、後々まで支援しました。子や孫への親身で愛情深い気遣いには心打つものがありますし、身内の女性たちの結婚への尽力も並ではありません。一家に仕えるお手伝いさんたちへも、細やかな心配りを忘れませんでした。
谷崎は、家庭生活が営まれる日常の居住の場に対し、創作の場としての書斎を、離れとして空間的に切り離しました。自らの芸術が、家庭の日常性に侵され埋没するのを拒んだためともいわれています。しかしそれは、家庭の日常と美徳の世界を、それとして確保したということでもあるのでしょう。書斎での創作活動は、一家を養い家庭生活を維持するための責務だったのです。谷崎は、勤め人が職場に向かうように、来る日も来る日も書斎に通い規則正しく執筆したのでした。

 ここにあるのは、「家長」としての視線と関心でしょう。それはまた、異色の谷崎作品といわれる『細雪』をはじめ、『蓼喰う虫』『猫と庄造と二人のおんな』『台所太平記』等、家庭生活の日常を細やかに描く一方の名作群を産み出したのです。
展示では、中央公論新社提供の数々の写真とあわせて書簡・エッセイ等を中心に、こうした「家長としての谷崎像」を浮き彫りにしてみました。虚と実の間を自在に往き来する中から作品を創りあげていった谷崎潤一郎。意外ともいえるその肖像は、はたして真実のものだったのか…。文豪のほほえみは、私達にさらに深い謎を投げかけているようでもあります。今回の展示が、その謎解きのきっかけになれば幸いです。
 
「鎖瀾閣」外観
 大正十二年、関東大震災を逃れて関西に移り住んだ谷崎潤一郎は、やがて阪神間の風土と文化に惹かれ永住を決意。昭和三年、海を望む六甲山系中腹の岡本梅ノ谷に豪邸を構えます。辺りには、地名の由来の梅林も美しく匂っていました。
関東時代の谷崎は西洋趣味でしたが、大正七年の中国旅行後は中国文化に感化され、関西移住を機に伝統的日本美に傾倒していきました。その三つに引き裂かれた美意識は、自ら設計した梅ノ谷の家の特異な様式― 一階は中国風、二階の書斎は和風、風呂は洋式 ―に反映されています。この家で書かれた傑作「蓼喰う虫」も、こうした美意識の展開を鮮やかに示しつつ、作家・谷崎の画期となりました。

「鎖瀾閣」玄関扉
梅ノ谷時代は、私生活もめまぐるしく動きます。最初の妻・千代との離婚劇に引き続く古川丁未子との結婚。一方で、後に生涯の妻となる根津松子も、この家に度々招いていました。
震災直後、倒壊した「鎖瀾閣」の惨状

谷崎会心のこの邸宅も、維持費がかさみ昭和六年に手放されます。以後、往年のまま維持されてきたものの、平成七年の阪神大震災で全壊。復元運動の中で、谷崎の作品「鶴唳(かくれい)」に登場する中国風楼閣の名にちなみ、「鎖瀾閣(さらんかく)」と名づけられました。
今回の特設展示では、谷崎の鎖瀾閣建設への執着を示す興味深い書簡や震災の瓦礫から救い出された部材をはじめ種々の資料によって、文豪の転機となったこの家に様々な光をあてます。
 
 
■第23回残月祭「猫派の谷崎潤一郎と犬派の 生誕100年 太宰治」 7/24
■鎖瀾閣の再建築断念 2009.7
■谷崎潤一郎賞該当作なし 2009.8
■【特別企画1】 渡辺たをりさんが語る「祖父 谷崎潤一郎」 10/31
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© Tanizaki Junichiro Memorial Museum of Literature,Ashiya.